クラブカルチャー黎明期から現在に至るまでオーセンティック SKAの存在価値と愉楽を示し築いてきたイベント『CLUB SKA』が30周年を迎えた。あの頃あの時あの瞬間があって今がある。先日発売された書籍『THAT’S CLUB SKA!!』(KING NABE 著)では日本のSKAを創ったと言っても過言ではないそのひとつひとつを記した興味深いエピソードやタイムトリップしたかのような様々な物語を感じることができる。
今回ここではCLUB SKAのドンにしてスカフレイムスの結成メンバーでもあるKING NABE氏とこれからのCLUB SKAを牽引する若頭 DJ BOBO氏にご登場いただき、その書籍のことをはじめ、30周年アニバーサリーイベントのこと、CLUB SKAの現在、過去、未来を少しだけ垣間見させて頂いた。
2018年11月10日(土) 川崎CLUB CITTA’で行われた『CLUB SKA 30th Anniversary』イベントのライブフォトと共にご覧ください。
KING NABE & BOBO(CLUB SKA 30th Anniversary)インタビュー
—– まず、30周年のアニバーサリーイベントを終えて率直の今の心境をお聞かせください。
NABE : 今CLUB SKAは年一回位で定期的にはやっていない中で、30周年という節目で今まで知っている色々な人が来てくれて、出演してくれた人達もそうですけど、そういう中で懐かしいっていうのもあったし、嬉しかったですね。
—– イベント当日のハイライトは色々あったと思うのですが、大きな部分でいうと最後のセッションからNABEさんのDJが始まってもそのままセッションが続くっていう状況はなかなか他のイベントでも見た事ないような光景でしたね。
NABE : あの時ステージでも言ったんですけど、CLUB SKAとして節目でやっているイベントにスカフレイムス(THE SKA FLAMES)が出たっていうのが20年ぶりだったんですよ。10周年の時が最後で15周年からはずっと呼べなかったっていうのがあって、20周年の時とかはスカタライツとかトロージャンズとか海外のバンドを呼んでやって、僕らもそれは嬉しかったけど、スカタライツからしたらCLUB SKAの事をそんなには知らないし、何十周年とかって関係ないじゃないですか? 今まではそういう人達が一番のメインアクトでやっていたんだけど、今回はそうではなく、スカフレイムスとスカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)、オイスカ(Oi-SKALL MATES)っていうのがメインでやってくれて、みんながCLUB SKAっていうものを祝ってくれたっていう風に感じたので余計にこっちはジーンと来るような良いイベントができたかなっていうのはすごい思いましたね。
—– ご自身のバンド(KING NABE & THE Vikings)もかなり久々だったんですよね?
NABE : 久々でしたね。最初やるつもりはなかったんですけどね(笑)
—– なにかやる事になった経緯とかってあるんですか?
BOBO : なんか周りから「出るべきだろう」って(笑)NABEさんがトロンボーンを吹かないのはどうなんだっていう声はやっぱりありましたね。
NABE : それで最終的に6月だったかな、スカフレイムスとスカパラがクアトロでやる時に、スカパラってスタッフがセッティングとかを全部やるんで元々は頭にやりたいって話しだったんですよ。途中だと転換が大変なんで。それで僕がやるバンドがもし出るんだったら出番は最初しかないと思っていたので、スカパラが最初じゃなければやらないっていうのであれば、バイキングスはやめようと思っていて(笑)それでその時にスカパラのメンバーとかマネージャーに聞いたら、「転換は15分あればできる」って言ってくれて、その時にじゃあやろうかって事になりましたね。
—– むしろやらない理由がなくなった感じですね。
NABE : もうやるしかないなって思いましたね。そこから急に決まった感じだったので、ほとんどリハもやらなかったので、今までで一番緊張したかもしれないです。今までのCLUB SKAでもやってなかったことですから、あの日バイキングスのライブが終わるまではお酒も飲まないようにしていました(笑)
—– そういった面でも今までずっとやってきた中でも今回のイベントは格別だったという事ですね。
NABE : 僕の中では相当良いイベントでしたね。
BOBO : 20周年のときのイベントがあまりに凄すぎて、モチベーション的に今回はやらなくても良いみたいな話しが最初は出ていたんですけど、最終的には気持ちが入ったので、やって本当に良かったです。
NABE : 20周年のときは、スカタライツとトロージャンズを呼んで3000人くらい人が来たけど、気持ちの中ではそれよりも今回の方が良かったですね。
BOBO : 演者の人達もそんな感じがありましたね。あのセッションにも出ていたと思うんですけど、「終わりたくない」っていう感覚がありました。
NABE : だから逆に今回はスカタライツとか呼ばなくて良かったかも知れないですね。もし今回スカタライツが最後トリを務めたとしたら絶対ああいう感じにはならなかったと思うんだよね。
—– 今回出演していたバンドはみんな良い意味でお客様感がなくて、それでいて長く活動しているバンドばかりだったので、本当に30年という時間と関係が作ったイベントでもあったのではないかと思います。
NABE : スカフレイムスは当然ですけど、スカパラも結成前からの付き合いなので、余計にそういう風に思いますね。
—– 先日その30年を記した書籍も発売されましたけど、実際に本にしようと思って振り返る作業はどうでしたか?
NABE : 僕も年なのか、古い事の方がなんか覚えていて、スカフレイムスを作る頃の話しとか、よく他のスカフレイムスのメンバーなんかと話しをしていても、みんなの方が間違えて覚えていたりして、僕は逆に変なところはちゃんと覚えているんですよね。
—– スカフレイムスやスカパラの結成秘話のような話しも書籍の中にありましたが、メンバーや関係者すら知らないような内容も結構含んでいるんですか?
NABE : みんなが全く忘れているような話しなんかもあると思いますね。スカフレイムスの宮崎さんにもあの本の中でインタビューとかしてもらっていたから、あのイベントの日に本を渡したんだけど、次の日に連絡が来て、「凄え面白かった」って言ってもらえました(笑)
—– この本がきっかけでもうちょいしたらウィキペディアが書き換わっている可能性がありますね(笑)
NABE : (笑)たしかに。
BOBO : スカフレイムスの人達とこの間話していて、NABEさんは日記でもつけていたのかな? なんであんなに覚えているのってみんな言ってましたね。
—– 本の話しをもう少しさせていただくと当時のフライヤーの画像とかも結構載ってますけど、あのデータもNABEさんがもっていたのですか?
NABE : CLUB SKAの最初の頃のやつは僕が手書きで描いていたんだけど、その元となるケント紙みたいなやつに描いていたのは全部持っていて、印刷物は全部持っていた訳ではないんだけど、それでも結構古いのは持っていたんだよね。だから最初の頃のやつが結構多いよね。
—– CLUB SKAの最初のころって月に2回とか開催されていたと思うんですけど、毎回きっちりフライヤーは作られていたんですか?
NABE : そうそう、月に1回作ってその2回の告知をしてましたね。しかもまだそんなコピーとかも無かったんで、それでコピーセンターっていうのが新宿にあってそこに青木と2人で行ってコピーして、お金がかかるから1枚を4つに切ってやってましたね(笑)今はコピーするよりも印刷が安くできるけど、前はそうやって手で切って分けて配りに行ってましたね。
—– フライヤーひとつひとつも作品って感じがしますよね。
NABE : そうですね。それであの頃ってフライヤー自体置いているところが少なかったんですよね。原宿あたりの古着屋に置いてあっても10個くらいで、だから逆にちょっと置くと目立って結構みんな持って行ってくれてましたね。
—– その当時って、他にもプロモーション的なことってやられてましたか?
NABE : CLUB SKAを始めて最初、P.PICASSOとサルパラダイスでやっている時は、日曜の夜とかにやっていたんでそんなにお客さんも来ていなくて、プロモーションみたいな事もほとんどやってなかったんだけど、渋谷のDJ BAR INKSTICKでやっている途中から突然お客さんが来るようになったんだよね。
—– それは何かきっかけがあったんですか?
NABE : たぶん俺の想像からすると、本にも書いたかも知れないんだけど、女子高生雑誌の編集部に誰かの知り合いがいて、特集を組んでもらったんだよね。なぜかカラーで写真も並んで5ページくらい。それに出てからイベントに女子高生が来るようになったんだよね。そうしたら今度は女子高生を目当ての男たちが3倍くらい来て(笑)
—– 当時、そういう女子高生雑誌とかに出ることへの抵抗みたいなのは逆になかったんですか?
NABE : あまり考えてはいなかったね。まあ良いんじゃないみたいな感じだったよ。それでちょうど当時、渋谷がブームみたいな感じでセンター街にチーマーとかが出始めて、そういうのに憧れてみんなが渋谷に来るような時期でその時にちょうど渋谷でイベントをやっていたっていうのが良かったのかもしれないね。だからたまに間違えて本当にギャルみたいな恰好のやつが入ってきて、みんなで「あれは絶対酒1杯飲んだら帰るよ」とか話してたら本当に1杯飲んで帰るなんて事もよくあったよ(笑)
—– でも当然そこを入り口としてそこからSKAが大好きになっていった人達も大勢いるわけですよね。
NABE : もちろんいっぱいいますね。当時来ていた女子高生くらいの子に「SKA好きなの?」とか「スカフレイムスって知ってる?」って聞いても「知らない」って言われていたのが、だんだん覚えていってもらって、そこからそういう子たちがスカフレイムスとかも見るように変わって行ったんだよね。それでそういう感じである知ってるメンバーと付き合って未だにスカフレイムスのライブに来ている子とかもいるしね(笑)
一同 : (爆笑)
—– (笑)まあ、良いことですよね。当時は良く思わない人もいたかもしれないけど(笑)ここまで続いてくれたらみんな嬉しいですよね。
NABE : (笑)そう、今でも来てくれるからね。
—– 実際30年続けて、そうやって人が集まるときもあれば、そうでなかった時もあると思うのですが、その辺に違いって何か感じてましたか?
NABE : DJ BARの時っていうのは本当に特殊で、黙っていても人が来ていて、フライヤーとか撒いたりしなくても人が来るからそれもやらなくなっていたし、それでも300~500人位は来ていたんで、逆にみんな何もやらなくなっていて、会場もいっぱいだからこっちのいる場所もないって感じだったんだけど、逆にそれ位いると何の曲をかけても盛り上がる感じがするから、今みたいに頑張って盛り上がる曲とかを選ばなくても何をかけても良かったっていう時代だったから、あれがあのまま続いてたらあまり良くなかったかなっていうのはあるかな。
—– 良くも悪くもバブルな感じですね。
NABE : 本当にそんな感じだったね。
—– CLUB SKAを始めた一番スタート段階の事も少し伺いたいのですが、実はって言ったら失礼なのかもしれないのですが、一番最初ちゃんと企画書まで作って始めたイベントだったんですよね。
NABE : 青木も良い大学って言ったらあれだけど、まじめでしっかりしていたんで(笑)
—– ノリとか勢いだけで始めたイベントではなかったって事ですよね。
NABE : どういうお客さんをターゲットにして、こういう所で宣伝して、こういうお客さんを集めてとかをちゃんと作って持っていきましたね。
—– 企画書ってそういうことですもんね。
NABE : だからそれを作っ持っていったらお店の方が逆にびっくりして「こんなの初めて見ました」って言ってたね(笑)
—– そういった客層とかって実際イメージした通りになっていったんですか?
NABE : やっぱり最初はなかなか集まらなかったけど、ちょうどクラブが出始めた頃なんで、色々なファッション業界とか、芸能人とかもよく来ていたよね。そういう時代だったんだろうけど、高嶋の兄貴とかは毎月いたし、藤井フミヤなんかもよく来てくれていたね。
—– そして何より、GAZ MAYALL(ギャズ・メイオール)から受けた影響は計り知れないんですよね。
NABE : ギャズとの出会いは最初ロンドンで若くして成功しているDJがいるって事で紹介されている本があって、そこでTROJANのレコードを持ってギャズが写っていて、それは僕らも持っていたレコードだったんで、あのレコードを持って写っているのがいたぞって事で、スカフレイムスを作ったニッカさんとその本をみつけて、「ああ、こういう人がいるんだ」って思っていたら、たまたまその人が来日するって事を知って、それでラフォーレ原宿の地下でやったイベントに行った時に初めて会って、その時はギャズがDJをやっていて俺らは客で行っただけで終わったんだけど、2回目に会った時はスカフレイムスが出演していて、ギャズはリハーサルの時からスカフレイムスを凄い気に入ってくれて、「もう明日帰るから今日の夜レコーディングしよう」って言いだして、俺らはいつでも良いよって感じだったんだけど、結局SMASHの社長の日高さんに「こんな時間から突然そんなスタジオ取れるわけないだろ」って怒られて(笑)「それで誰がそのスタジオ代払うんだ」って(笑)
一同 : (爆笑)
NABE : 夜の10時とかに今日これからレコーディングするぞって言ってもなかなかできないよね(笑)それでホテルに帰るから飲みにでも言って話しでもしようってギャズが言ってくれて、そこで何か実現したいねって話しをして、その後にたまたま俺とスカフレイムスの宮崎さんがロンドンに行った時にまたギャズに会ってそこで色々と段取りの話しをしたんだよね。
—– その時に、DJについての話しもされた感じなんですか?
NABE : ロンドン着いてすぐにマーケットに行ったら、本当にたまたまギャズに会って、そこでSKAのレコードを買いたいからレコード屋を教えてくれって言ったら、そこから一日中付き合ってくれて、色々教えてくれて、それでレコード屋に行ったらギャズはだいたい店の人を知っているから、わざわざ日本からSKAのレコードが欲しいって来たんだからお前隠しているレコード全部出してやれって言ってくれて、それでお店の人も色々出してくれたんで俺も結構買ったんだけど、その他にもココとココの店に行けって教えてくれて、その時ギャズから「お前は日本でSKAのDJをやれ」って言われたのはきっかけとしては大きいよね。
—– ロンドンのレコード屋さんって日本人ってだけでその隠しているのはなかなか出してくれないって話しも聞いたこともありますけど、いきなりギャズのお墨付きから入っているっていうのは凄いことですよね。
NABE : それでギャズの家にも遊びに行って、そこで「コレあげるから頑張れ」って感じでいっぱいレコードをもらったりもしたんだよね。
—– その時、GAZ ROKKIN BLUESにも行かれたんですよね。ギャズがやっていたイベント自体も相当盛り上がっていたんですか?
NABE : 盛り上がってたね。ちょうど向こうに行っている時に3回遊びに行ったんだけど、最初行った時はトロージャンズがやっていて、それはアットホームな感じで、その次にソウルバンドみたいなのが出た時は全然お客さんはいなくて、最後に観たときはバッドマナーズでそれは凄かったね。正確にはバッドマナーズが休んでいる時に、バスターズ・オールスターズっていう寄せ集めのバンドだったんだけど、前に日本に来た時に一緒にやったことのあるポテト5っていうバンドのメンバーもそれに入っていて、ライブの前に飲みながら話している時に危ないからステージの袖で観ておけって言われたからそこで観てたら、凄いゴツいタンクトップを着たボディーガードが入って来て客がワーって来るのを安全靴て蹴り飛ばしてて、それは凄えって思ったね(笑)ガードするとかじゃなくて本当に足で蹴ってるから、そこまでするんだって思ったよね。
—– (笑)やっぱり根っこはパンクスの人達なんでしょうね。
NABE : 普通のSKAとは違うのかも知れないけど、本場のそういうのを観た感じがして凄えなって思ったね。
—– その影響を受けて日本でCLUB SKAを始めたときはそういった雰囲気も意識されていたんですか?
NABE : 最初にCLUB SKAをやったP.PICASSOって所がたまたまロンドンのクラブを意識していてそういう事をやりたがっていたんだよね。それで日替わりでDJが入るっていうイベントををやりたがってる時にちょうど俺らが話しに行って、たまたまタイミングが合ってちょうど良かったんだよね。
—– そこから30年ですからね。まさか30年続くとは思わなかったっていうのは皆さんおっしゃってる事なのかもしれないのですが、ここまでやったら辞めようとかって事を考えたりしたこともあるんですか?
NABE : 無いって言えば嘘になるかな。CLUB SKA自体も何回もそう思った事はあるし、俺自身も実は一回抜けているんですよ。そういうのもあるし、スカフレイムスなんかも何回も辞めようっていうのが若いころはあって、俺なんかはもうちょっとメジャーでやって行こうよみたいな事を言っていたんだけど、仕事をしながらやりたいみたいに言うメンバーなんかもいたり、それで一回辞めようかみたいな話しもいっぱいあったけど、だんだん年をとって来て、みんなそう思わなくなってきたんだよね。
—– それはどういった心境なんですか?
NABE : 今の自分の生活の中でそれをやっているのが当たり前になっていて、それをやって仕事もやってっていうのが普通の事で、後はやっていて楽しいっていうのがあるから、やっぱり平日仕事をして、週末にまたメンバーと集まってそういう事をやるとストレス解消じゃないけど、楽しいしそれでやっていきたいっていうのがあったと思うな。
—– スカフレイムスは急激に忙しくなるとかって事はなかったんですか?
NABE : やっぱり結構抑えていたんだよね。スカフレイムスはこれ以上できないから、別にバンドを作ってやろうかってちょっと動いたこともあったしね。
—– 大所帯のバンドなのでみんなの都合を合わせて、やれる範囲でやっていたのが今も尚続いているって感じなんですね。
NABE : 俺は今メンバーでもなんでもないんだけど、スカフレイムスは未だに良い話しをメンバーの都合で断ったりしているからね。オイスカが行ってるメキシコのイベントとかも誘われているけど、みんな休みが取れないって(笑)
—– 今は色々な活動の仕方がある時代になりましたけど、その当時は一気に売れるか辞めていくかみたいな時代の中で、横一線マイペースに活動を継続してきたっていうのもある意味凄いですよね。
NABE : 本当に珍しいパターンだよね(笑)
—– でもバンドもそうだし、CLUB SKAのイベントもそうだし、なんだかんだ続いているっていうのは単純に好きだからっていうことに尽きる感じですかね。
NABE : たぶんそうだね。自分の中で好きなんだよね。それとやっぱり楽しいんだよね。
—– その楽しいっていうのは音を探すのが楽しいんですか? それともみんなが踊っているのを観るのが楽しいんですか?
NABE : 両方だね。他のバンドのメンバーとか音楽をやっている人っていうのは新しいを音や曲を作ったりするのが好きなんだろうけど、たぶん俺の場合はそれをやりながらDJをやっているから昔のものも好きなんだよね。だからちょっと違って、例えば昔のSKAの自分の好きな曲をそのまま自分でやりたいなとかって事も凄い好きなんだよね。
—– 本の中でのプロローグ的なページの締めで、かつてを振り返って「不便なりに楽しい時代だった」って書かれていたんですけど、それは宝探し的な楽しさを言ってるんですよね。
NABE : そうだね。今はネットでなんでも情報が出てくる時代だけど、当時はSKAに関しての情報はゼロに近かったから余計にそういうのはあったよね。レコード屋に行ってもどれがSKAのレコードなのかも分からないっていう時にレゲエのレコード屋で「コレは髪がドレッドじゃなくて短いからSKAじゃないかな」みたいな、それ位のノリで買っていて、聴いたら全然違ったとか、コレは当たりだったとか。
—– そのハズレが逆に楽しさを増幅させたりしていたんでしょうね。
NABE : たまにその当たりが嬉しかったりするし、ハズレって言ってもそのハズレはレゲエだから別に嫌いなわけではないからね。よくわからないけど後ろのライナーのようなやつとかも読んで、何年くらいのやつだとかみたりするんだけど、ジャマイカのやつってあまりそういうのも書いてなかったりもするからね。
—– 音楽自体最近は配信とかで拡がったりしている部分もあるかと思うのですが、その一方で日本にはレコードが集まってきているなんて話しも耳にするのですが、SKAに関しても増えているんですか?
NABE : SKAに関しては増えてはいないんじゃないかな?
BOBO : 10年前くらい再発は日本結構多かったですけどね。
NABE : 日本はSKAを聴いている人達っていうのが、もう何年も前から変わってないような感じがあるよね。だからもっと若い人達が聴くようになればそういうのも増えていくんだろうけどね。
—– 世界的にもSKAのバンド自体って増えてはいないんですか?
BOBO : いや、増えていると思いますよ。ただ日本でいうとCLUB SKAのようなオーセンティックなものよりはどっちかっていうとSKA PUNKとか、そっちの方のくくりになってきていて、そこが2極化してきているんだと思います。僕らはそっちも聴くけど、CLUB SKAとしてはオーセンティックなものをっていう事でみんな集まって来ているんで、僕とか、たぶん松岡さんも猪原さんなんかもそうだと思うんですけど、今は南米のSKAなんかも聴きますし、その辺が今凄いですね。
—– なんか中南米が盛り上がっているらしいですね。
BOBO : 中南米が凄くてその辺のやつもよく聴いて刺激を受けてますね。
NABE : たぶん俺が勝手に思っているだけなんだけど、日本とイギリスは凄い似てて、昔の音楽に凄いこだわっているんだよね。だから日本もイギリスも昔のオーセンティックSKAみたいなのは流行ったけど、そういう新しいものはあまり取り入れられないのかも知れない。ただ、そういった新しいものの見方としてそういった南米の国とか、アメリカなんかも昔のものとかにそんなにこだわらないから、そういうのが出たりするのかな。だからそういう昔にこだわり過ぎる国の方が今SKAは流行ってないのかなって感じがするね。
—– 中南米で今盛り上がっているSKAっていうのはオーセンティックなものとはまた違う感じなんですか?
BOBO : オーセンティックではないですね。SKAをやっているっていうより、中南米にある元々のクンビアとかにSKAを取り入れているって感じがしますね。
—– でも一応SKAっていう定義みたいなものはされてはいる感じなんですよね?
BOBO : されてはいるんですけど、なんか独自な感じがしますね。その人達が持つ血なのかも知れないですけど、ジャマイカ人がR&Bをやってあんな風になっちゃったじゃないですけど、そういう血がそうさせるのか、やっぱり中南米の音って感じが凄いしますね。
—– やっぱりその国や地域が持つ独特の音楽って絶対ありますもんね。NABEさんなんかはCLUB SKAのイベント以外だとDJで昭和歌謡みたいな音楽も結構かけたりしてますけど、あれはSKAからの派生みたいなイメージなんですか?
NABE : いや、それは全くないかも知れない(笑)個人的趣味が強いですね。
—–(笑)そうなんですね。そこの線引きとかこだわりとかは何かあるんですか?
NABE : 一番最初にDJを始めたとき自分的には日本の歌謡曲とかをかける事は否定していたのね。特に俺はジャマイカのSKAをかけるんだみたいな感じでやっていたから、そういったのはやらないでいたんだけど、ギャズが日本に来た時に、ギャズがかけていたんだよね。笠置シヅ子とかを。それでギャズの弟のジェイソンも凄い日本が好きで日本の歌謡曲を集めてやっていたりしていて、実は俺も元々そういうのが好きだったから何気なくちょっとずつかけるようになってきちゃったんだよね。
—– ギャズはどういう感覚でかけていたんですかね。日本だから日本の曲が盛り上がるだろうみたいな事なんですかね。
NABE : ギャズはたぶん最初の笠置シヅ子とかは50年代のブギウギとかを日本語でやっているっていうのに興味を持ってかけていて、その後も俺とかが探して、例えばMy Boy Lollipopを日本語でやっているのとかをギャズにあげたりとかしてそういうのをかけていたんだけど、そこからギャズもちょっと勘違いしてだんだん演歌とかかけるようになっちゃったんだよね(笑)
一同 : (爆笑)
NABE : 俺なんかは歌謡曲が好きって言っても60年代のアメリカンポップス調の歌謡曲とかなんだけど、ギャズはなんか演歌とかの方に行っちゃたんだよね(笑)
—– そして、現在のCLUB SKAとしての活動状況も伺っておきたいのですが、今年はアニバーサリーイベントもありましたが、それ以外の動きとしてはどういった感じだったのでしょうか?
NABE : 今はレギュラーでは年に一回くらいしかやっていないんだけど、今年は30周年っていうのもあって色々できたかな。
—– イベントがない時にもCLUB SKAのメンバーがみんなで集まることってあるんですか?
BOBO : ほとんどないんですけど、今年はよく家族旅行に行きましたね。
NABE : そういうのでも全員は集まらないかなって思ってたけど結局全員来たもんね。フジロックも日帰りで行くっていう結構ハードな感じだったんだけどみんな来たしね。
BOBO : ギュウギュウでしたもんね、車(笑)
—– 移動もみんな一緒に行くっていうのが素晴らしいですね。
BOBO : CLUB SKAは、逆に誰か行かないって事の方が「なんで俺だけ」ってなるんですよね。
NABE : 今回のフジロックもSMASHと話しをしていて、CLUB SKAでやるって話しをもらったときに、SMASHが間違えてて人数が一人足りなかったんだよね(笑)
BOBO :(笑)メンバー8人なのにSMASH側から7人分の時間を用意しましたって言われて。
NABE : リストバンドとかも足りないからどうしようってなったんだけど、誰か絶対行けない奴いるから大丈夫だよって言ってたら全員行けるってなって(笑)それで最初ひとり一番遠くに住んでいる奴は離れていて車で送れないから誘うのやめようかって(笑)
—– (笑)なかなかひどい話しですね。
NABE : それでも最後まで行きたいって(笑)
BOBO : どうしても行きたいってずっと言ってましたね(笑)
NABE : 結局それも可愛そうだから一人分チケットこっちで買うからチケット売ってってSMASHに言ったら「どうしたんですか?」って聞かれて、実はメンバー分ひとり足りなくてって話しをしたら「えっそうだったんですか?言ってくれれば良いのに」って(笑)
—– SMASH側からしたらそうですよね(笑)
NABE : 「メンバーじゃない人を連れて行くからって言われたらあれだけど、メンバー分が足りないっていうのはもちろん出しますよ」って。だから最初から言えば良かったなーって(笑)
—– なんで誰も確認しようって言わなかったんですかね(笑)
BOBO : なんかSMASH側から7人分のアーティストパスを出しますって言われた時に『7人』でそれ以上は出せませんって言われたら「ああー7人しかダメなんだって」思っちゃったんですよね(笑)
—– (笑)実際にフジロックみんなで行ってみてどうでしたか?
NABE : やったのはすごい小さいテントだったんだけど、すごく良い感じだったね。
BOBO : BLUE GALAXYっていう苗場食堂の横のところですね。
NABE : 俺的には、言ってみればボブ・ディランのおかげで盛り上がったんだよね。 ボブ・ディランがやる時とCLUB SKAの時間が被っていて、ボブ・ディランの時ってその他のステージのライブはやめてたんだよね。
BOBO : そうなんですよね。全部音を止めてたんですよ。
NABE : その中で唯一やっていたのが、苗場食堂とBLUE GALAXYっていうそのうちらがやっているテントで、ボブ・ディランのところに人を集めたいからそういう風にしていたと思うんだけど、それでうちらもボブ・ディランを観たいから、その時間はBOBOとKO-TA-RAWにやらせて俺とかはボブ・ディランを観に行ったの。
BOBO : みんな大人たちの都合で「俺達ボブ・ディラン観に行くから」って(笑)
今回うちらの持ち時間は8人いるんで1人20分くらいしか最初なかったんですけど、こんなに大人数できて20分じゃ悪いみたいな感じでそのステージの主宰のジムが言ってくれて、自分の持ち時間をCLUB SKAにくれたんですよ。それで1人30分ずつくらいやらせてもらえるようになったんですけど、そうする事で後ろにガーっと伸びたんでボブ・ディランと丸被りの時間が1時間くらいできちゃって、本当は最初みんなでボブ・ディラン観れるねって話してたんですけど、本当に丸被りになっちゃったんで、じゃあBOBOとKO-TA-RAWはそこだろうって(笑)
—– そこは意外と縦社会なんですね(笑)
BOBO : 俺とKO-TA-RAWもココは俺らだなってすぐに思いましたね(笑)
NABE : それで観に行ったんだけど予想外につまらなくて、最後戻って来たんだけど、そうしたら同じような感じで人が凄い集まって来ていて(笑)
BOBO : そうなんですよ、びっくりしました。はじまって2,3曲くらいしたらワラワラワラワラって人が集まって来て凄かったですね。テントに人が入りきらないくらいになっていて、まさかそれが俺とKO-TA-RAWの時だっていう(笑)
NABE : KO-TA-RAWは今まで盛り上がってる時間にやった事がなかったから焦って緊張してたけど、あれは一番の見せ場だったね。
BOBO : 人生のハイライトになるくらいのDJじゃないですかね(笑)
—– 今、CLUB SKAのメンバーは8人いて、世代とかもバラバラなんですよね?
NABE : バラバラと言うか上が多くて、猪原くんなんかは俺より年上だったりするんだけど、猪原君と俺と太郎ちゃんと松岡が大体一緒くらいで、その4人はずっと変わってないですね。
BOBO : それが第一世代ですね。
—– NABEさんとしては、そういった中でBOBOさんとか若い世代に受け継いでいってもらいたい事とかってあったりするんですか?
NABE : いや、BOBOはもうすべてやってくれている感じなんで、凄いしっかりしているから(笑)
—– 安泰ですね。じゃあCLUB SKAはここからさらに30年、次は60周年に向けてまだまだ続けていただけたらと思います。
BOBO : (笑)みんながお酒をやめて生きてれば。60周年とかになると80歳とかですもんね。
NABE : 昔クラブでDJをやっていたデューク・ビンっていうじいさいがいて、その人が最初ジャマイカからイギリスに渡ってDJをやった人なんだけど、それでそのじいさんは凄いSKAやレコードにも詳しいんだけど、自分でDJできないから「次は何!」って言うだけで若い奴がそれをかけてDJやってたね(笑)
一同 : (爆笑)
BOBO : CLUB SKAもそうなるんですかねー(笑)
—– 60周年アニバーサリーのときは例えそうなっていてもやって欲しいです(笑)
BOBO : 50周年位でもうそうなってるかもしれないですね(笑)ブースの横にちゃんと椅子を置いて一人に一人20代の子をつけて(笑)
NABE : 逆にSKAのDJだったらそうやってでもできなくはなさそうだもんね(笑)
BOBO : そうですね。まだまだ先は長いですね。
—– では最後の締めになりますが、NABEさんにとって『SKA』とはなんでしょうか?
NABE : 『SKA』とは… 一番難しい質問かもしれないなー(笑)若いころから全てをSKAに捧げてやってきたみたいな感じも良く言えばあるけど、今はもう普通になっているのかも知れないな。特別なものでもなくて、特別力を入れている訳でもないけど、あるのが当たり前みたいな感覚だね。そういうのがSKAなのかな、だから無理せず長くやって来れているのかもしれないね。
CLUB SKA 30th Anniversary LIVE PHOTO
■ CLUB SKA 30th Anniversary(SPECIAL SESSION)»
■ CLUB SKA ALL STARS»
■ THE SKA FLAMES»
■ TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA»
■ Oi-SKALL MATES»
■ THE AUTOCRATICS»
■ BRAVE LION»
■ KING NABE & THE Vikings»
Photo by Lui Ambo
KING NABE 著 『THAT’S CLUB SKA!!』
東京のスカ・カルチャーは、ここからはじまった!
30年続く伝説のイベントCLUB SKAの創始者であり、日本のスカ・バンドのオリジネーターであるスカフレイムスの結成メンバーが語る、東京のクラブ黎明期とスカの隆盛の全歴史。
「CLUB SKAが30年で積み上げてきた功績は、スカを啓蒙してきたことに尽きる」
──川上つよし(東京スカパラダイスオーケストラ)
「KING NABEがかける『Guns Of Navarone』にはなんともいえない説得力がある」
──森 雅樹(EGO-WRAPPIN’)
「僕にとってCLUB SKAは、新譜を聴きに行くような感覚の場所だった」
──渡辺俊美(TOKYO NO.1 SOUL SET/THE ZOOT16)
◆本書に登場する80~90年代に存在したクラブ/ディスコ
クリームソーダ、レオン、ツバキハウス、ピテカントロプス・エレクトス、モンクベリーズ、玉椿、ニューヨークニューヨーク、ブギーボーイ、69、TOOLS BAR、BUBBLIN’ DUB、CLUB JAMAICA、P.PICASSO、サルパラダイス、INKSTICK ……etc.
スカフレイムス、川上つよし(東京スカパラダイスオーケストラ)、渡辺俊美(TOKYO NO.1 SOUL SET/ THE ZOOT16)、大貫憲章、森 雅樹(EGO-WRAPPIN’)、HIROSHI BROWN(RUDE BONES / Oi-SKALL MATES)の豪華インタビュー/コラムも掲載!
カラー口絵、及び本文に貴重な写真、フライヤー資料など満載!
構成: 宮内健
A5 / 192ページ+カラー口絵16ページ / 並製
2018年11月発売
2,300円(本体価格/税別)
出版社: DU BOOKS
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK227
KING NABE(キング・ナベ)
日本のスカ・バンドのオリジネーターであるスカフレイムスの結成メンバーであり、 日本にジャマイカのオリジナルスカミュージックを広めた、日本スカ界のゴッドファーザー。
故・青木達之、PRINCE MATSUOKAと共に、1988年よりDJイベント CLUB SKAをスタートさせた。 その当時、他にはないオリジナル・スカがかかるパーティは人気となり、 多い時は一晩で600人近くのルードボーイ&ガールたちが集まるイベントとなる。 2018年で CLUB SKAは30周年を迎えた。
CLUB SKA オフィシャルサイト
http://clubska.jp/
CLUB SKA (@CLUBSKA_JP) | Twitter
https://twitter.com/clubska_jp