福島原発事故から6年…存在が許されない“被ばく牛”と農家の物語を描いたドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』が劇場公開のためのクラウドファンディングを開始
立入禁止となった福島第一原発の半径20km圏内。国は圏内全ての家畜の殺処分を命じました。しかし、その通達に従わず、賠償金を餌代にあてながら牛を活かし続けてきた農家がいます。今秋の公開を目指している『被ばく牛と生きる』は、何の罪もない被災者である農家と売り物にならない牛の「いのち」の大切さを考える映画です。
東京電力福島第1原発事故により被ばくした牛と、その牛を守ろうとする農家の5年間を追ったドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』が、今秋公開されます。製作した株式会社パワー・アイは、公開を前に、宣伝配給費の資金調達を目的としたクラウドファンディングを「MotionGallery (モーションギャラリー)」にて開始しました。
映画『被ばく牛と生きる』
【主な登場人物】
<吉沢正巳さん (浪江町・畜産農家)>
南相馬市と浪江町にまたがる30ヘクタールの牧場(居住制限区域内/4月1日以降解除)に住み、300頭以上の被ばく牛を生かし続ける。牧場名も「希望の牧場」に変えた。 「被ばく牛の殺処分は、被災者に対する棄民政策につながる」との考えから、日本全国、宣伝カーに乗り、原発事故の悲惨さを訴えている。
<山本幸男さん (元浪江町町議会議員・畜産農家)>
30年以上浪江町の町会議員を務め、原発を推進してきた町の有力者。安全神話を信じ過ぎたことを後悔し、過去の自分を自問自答している。「牛を生かすことは故郷を守ることにつながる」との信念を持ち、二本松市の仮設住宅から片道2時間かけて、浪江町の牧場に通い続けている。
<池田光秀さん 美貴子さん 夫妻 (大熊町・畜産農家)>
原発の立地村・大熊町で5代目となる畜産農家。夫婦で愛情深く牛を育ててきただけに、殺処分には断固反対、賠償金を取り崩し、牛の餌代に充てている。小規模経営のため、平日は妻の美喜子さんが牛の世話をし、サラリーマンとして働く夫の光秀さんは週末に手伝う。現在は広野町に避難している。
<柴 開一さん (浪江町・畜産農家)>
浪江町の中でも最も放射線量が高い地区にある牧場主。戦後、父が荒地から開墾した牧場の後を継ぐ。事故後、妻と娘は埼玉に避難し、年老いた母と牛を世話するために二本松の仮設に一人残った。50年近く牛と共に暮らしてきたが、柴牧場の隣の空き地が汚染物の仮置き場に指定されたため、重大な決断をすることに…
【制作スタッフ】
ナレーション:竹下景子
監督:松原 保 1959年大阪生まれ。
1986年東京の番組製作会社に入社、テレビ番組やCM、企業PRなどを数多く手掛ける。2008年、パワー・アイ代表に就任。シンガポールのヒストリーチャンネルやブータン国営放送とは日本人として初めて国際共同制作を行った実績を持つ。日本人が持つ「心の文化」を世界に向けて大阪から発信しようと、海外の放送局との国際共同制作を模索している。今回の長編映画は初監督作品となる。
プロデューサー:榛葉 健 1963年東京生まれ
1987年 在阪民放局入社。 社会派、歴史、自然、スポーツなど 幅広く ドキュメンタリー番組を制作し、数々の賞を受賞。1995 年以降、阪神・淡路大震災関連のドキュメンタリー15本を制作。『with…若き女性美術作家の生涯』は、「日本賞・ユニセフ賞」をはじめ世界的反響を受け、日本のビデオドキュメンタリー番組として初の映画化。東日本大震災では、宮城県三陸地方に通い続けて、私費で映画「うたごころ」シリーズを製作・監督。 本作品をボランティアとして支えている。
風化させてはいけない…真実のストーリー
2011年に起きた福島第一原発事故による放射能の影響で、政府は原発から半径20km圏内を立入禁止の“警戒区域”に指定しました。そして2か月後、放射能に汚染された食肉を流通させないために、圏内全ての家畜の殺処分を通達します。
強制避難を強いられた大半の農家は涙をのんで殺処分に応じましたが、十数件の畜産農家は同意しませんでした。「人間の役に立たないから殺す」という理不尽さに納得できなかったからです。狂牛病や口蹄疫と違って、放射能に汚染されただけでは、食べなければ直接人間に害は与えません。
それらの農家は賠償金を切り崩して莫大な餌代を負担し、ある農家は被曝を覚悟で住んではならない居住制限区域で住み、別の農家は1日置きに60キロ離れた仮設住宅から通い続け、今も被ばく牛を生かし続けています。
牛1頭の餌代は年間約20万円。30頭いれば、年間500万円を超える餌代がかかります。売り物にならない牛を生かす行為は、一般的には理解しづらい事かもしれません。
『被ばく牛と生きる』は、存在することが許されない「いのち」がテーマの映画です。被災した牛が殺処分されていく「いのち」が軽んじられる福島の現実を伝える一方で、私たち日本人が本来宿していた全ての「いのち」を慈しむ心をもち、被ばく牛を世話しつづける福島の農家の人々の姿をありのままに伝えます。
5月8日までに140万円の資金調達を目指してクラウドファンディングに挑戦
原発事故から6年。牛を生かしてきた農家も、長引く避難生活や高齢化、資金不足により次々に脱落し、今では5軒の農家が約600頭の牛を守るだけになりました。
また、岩手大学、東北大学、北里大学等の研究者が集まり、空間線量がいまだに平均15μ/Svもある浪江町・小丸地区で、3年以上にわたる被ばく牛の調査研究も続けられています。しかし、初期の被曝量が分からないという理由から国は、この研究に予算をつけようとしません。
賠償金を切り崩して餌代に充てる農家と研究者は、それぞれが限界に近づいています。また被ばく牛に放射線の影響を示す科学的データも立証できそうな状況になりつつあります。そうした状況をより多くの方々に知ってもらいたいとの思いから、資金不足に陥った映画『被ばく牛と生きる』を全国の劇場で上映するための宣伝配給費の一部を調達したく、クラウドファンディングを開始しました。
5月8日(月)まで、140万円を目標にプロジェクトを開始しています。
リスクを追い続ける農家、その真実の姿だけを伝えます
長期にわたる経済負担に耐え切れずに脱落していく農家。かつて町議会の議長として原発誘致を推進しながら、自分の牛が被曝した農家。故郷も仕事も奪われ、それでも経済価値のない牛を生かし続ける農家…。
『被ばく牛と生きる』では、生きていてはいけない牛と、その「いのち」を守ろうとする農家の刹那と悲哀を描いています。一人の農家に焦点を当てるのではなく、群像で描くことにより、人それぞれの牛を生かす動機が見えてくると考えました。
5年の歳月をかけ、自費を投じて撮影
監督を務める松原 保は、2011年6月から現地に入って取材を開始。当初は映画を作るまでの確信はありませんでしたが、福島の現実を知れば知るほど憤りを感じました。そして2015年末まで、大阪から片道900キロを自家用車で往復すること38回、取材日数は延べ82日間、収録時間は600時間以上を超え、700万円以上の資金を投じてきました。
5年という歳月をかけた松原は、被災者である農家の方々の思いの源を探るため、出来る限り時間をかけてインタビューし、彼が見たフクシマの”理不尽な現実”を映し出しています。
事故から6年が経ち、2020年の東京オリンピック開催に向かおうとしている日本では、「福島のことはもう忘れたい」という風を感じます。さらに
今春からは帰還困難区域を除く立入り制限区域が解除されます。
今回の作品を通じて、もう一度フクシマの直面する現実に戻り、“存在が許されない牛”と“その命を必死に守り続けようとする農家”の姿を通じて、本当の幸せとは何か、命の大切さとは何かを見つめ直す機会になればと思います。
現在フランスのプロダクションと本映画をベースとした海外向けバージョンも進行中です。
クラウドファンディング
映画『被ばく牛と生きる』の配給宣伝支援:クラウドファンディング
MotionGallery (モーションギャラリー):
https://motion-gallery.net/projects/hibaku-ushi2
一口2000円から受付
監督からのお礼メールや映画観賞券、DVDなどをプレゼント
2017年5月8日23:59締切