さいたまトリエンナーレ2016 いよいよ開幕!
テーマは「未来の発見!」
127万もの人々が生活するさいたま市に、世界に開かれた創造と交流の現場をつくりだそうとする国際芸術祭。 テーマは「未来の発見!」。 アートを鑑賞するだけでなく、共につくる、参加する芸術祭です。 土地の歴史やまちの構造を想起させる、市内のさまざまな場所が会場となります。 国内外のアーティストたちの多様で多彩な想像力に触発されて、私たちはさまざまな未来を夢見ていく。 日本を代表する生活都市から生まれる、想像力の祭典をお楽しみください。
さいたまトリエンナーレ2016
会期:2016年9月24日(土)~12月11日(日)[79日間]
※定休日=水曜
※ただし11/23(水・祝)は開場、 翌11/24(木)は閉場
■主な開催エリア:
与野本町駅~大宮駅周辺
武蔵浦和駅~中浦和駅周辺
岩槻駅周辺
■主催:さいたまトリエンナーレ実行委員会
■ディレクター:芹沢高志(P3 art and environment 統括ディレクター)
■参加アーティスト一覧
秋山さやか(日本)
アイガルス・ビクシェ(ラトビア)
チェ・ジョンファ(韓国)
藤城光(日本)
ダニエル・グェティン(スイス)
日比野克彦(日本)
ホームベース・プロジェクト(NYC、 ベルリン、 エルサレム、 さいたま ※出身地ではなく開催地)
磯辺行久(日本)
日本相撲聞芸術作曲家協議会 JACSHA(鶴見幸代、 野村誠、 樅山智子)(日本)
川埜龍三(日本)
オクイ・ララ(マレーシア)
ロングフィルム・シアター(日本)
アダム・マジャール(ハンガリー)
松田正隆+遠藤幹大+三上亮(日本)
目(日本)
向井山朋子(日本)
長島確+やじるしのチーム(日本)
新しい骨董(山下陽光、 下道基行、 影山裕樹)(日本)
西尾美也(日本)
野口里佳(日本)
岡田利規(日本)
大洲大作(日本)
大友良英+ Asian Music Network(日本)
小沢剛(日本)
ウィスット・ポンニミット(タイ)
ソ・ミンジョン(韓国)
SMF(Saitama Muse Forum)(日本)
ダンカン・スピークマン+サラ・アンダーソン(イギリス)
鈴木桃子(日本)
高田安規子+政子(日本)※「高」は梯子高
多和田葉子(日本)
マテイ・アンドラシュ・ヴォグリンチッチ(スロヴェニア)
アピチャッポン・ウィーラセタクン(タイ)
ユン・ハンソル(韓国)
*10カ国より34アーティストが参加/48アートプロジェクトの展示
ついに出発!ユン・ハンソル《サイタマ・フロンテージ》そして衝撃のラスト!!
さいたまとは何か。
都市、それは無機質な存在ではなく、時に自分に寄り添い、時に突き放す、猥雑で変化する生き物。 さいたまの街に生きる人々もそんな都市のアイデンティティに翻弄されて生きている。 外国人であり、部外者であるユン・ハンソルが投げかけ、搔き回し、そして乗客と一緒に未来を発見する列車の旅。
さいの角がもう少し長かったら?川埜龍三のユーモアが誘うさいたまの未来!
大真面目です。
どこかで見たことのある、しかし見たことのない世界が広がっている。 古墳や埴輪は古の人が想像の力で、ロジカルに構築したひとつの物語世界だった。 「さいたまB」の世界もまたそんなパラレルワールドである。 川埜によって完璧に作られた大真面目で、そしてユーモアあふれる空間が、かつて民俗文化センター(技の博物館という呼称であった)だったことを想起させ、その手の込みようにまた笑う。
ソ・ミンジョン、縄文期に海だったさいたまに思いをはせる
脆さの中にある一瞬の美しさ。
ソ・ミンジョンの「いつか失われてしまう人々の記憶や歴史、物語」の瞬間を捉えた作品は、ここさいたまでは「すでに失われた人々の記憶や歴史、物語」から始まる。 かつて海岸線があったさいたまの水の記憶は、人間が初めて触れる水、羊水の記憶とともに一瞬の美しさに閉じこめられるのではなく、永遠に流れるものへと変貌をとげた。
この夏オランダで絶賛、向井山朋子の《HOME》、ついに初演を迎える
内覧会で申し込みが殺到した向井山朋子の《HOME》。
見た人が「圧倒的だった」と口を揃えて言う。 何がどう圧倒的だったのか。 向井山が奏でるショスタコーヴィッチと湯浅永麻の計算されつくした緩急ある動きもさることながら、「未来」への渇望が垣間見えた時こそ、人は共感するのかもしれない。
芹沢ディレクターのインタビュー概要
さいたまトリエンナーレ2016の作品が完成し、ついに公開を迎えました。 作品の全貌が明らかになり、芹沢ディレクターがどのようにこのトリエンナーレに 挑もうとしたか、改めてそのスタート地点を再確認することができました。
問いからすべてが始まった「さいたまトリエンナーレ2016」
さいたまトリエンナーレ2016 ディレクター 芹沢高志さいたまとはいかなる場所なのか?私たちは研究活動「さいたまスタディーズ」を立ち上げ、1年間かけて芸術祭の基礎となる部分を探しました。 すると古くから、少なくとも縄文期から、ここは人々が暮らし続けてきた生活する場所であったことがわかりました。 現在は127万人もの人間が居住する巨大な生活圏さいたまーつまりこの土地は、ずっと人々の生活の現場であったのです。 そこで私はさいたま市を日本を代表する「生活都市」と位置づけ、そこでアートに何ができるかを考えていきました。
偉大な日常への挑戦。
さいたまでは超高層ビルが林立する典型的な現代都市景観も、これぞ日本といった里山景観も部分にすぎません。 圧倒的に広がる新旧の住宅地、猥雑さも許容する繁華街、曲がりくねった細い 道路、緑地、林地、田畑、河川敷に広がった自然、そのすべてがパッチワークのように混在して います。 そう、なんにもないのではなくて、なんでもあるといっていいでしょう。 しかしこの姿こそ、もっとも普通で、典型的な「現代日本」の風景だと感じました。 生活は偉大です。 日常は 偉大です。 しかしあまりにも慣れ親しむあまり、感性は麻痺し、想像力は萎縮しがちです。 ここにアートという非日常を投入する。 この芸術祭はそうした挑戦です。 そして、私はこのトリエンナーレを「生活都市から生まれる想像力の祭典」と呼ぶことにしました。
夢見る未来。
未来の発見とは、誰かから与えられたたったひとつの未来を受け入れることではありません。 教えてもらうものでもありません。 未来とは一人一人が夢見るもの。 しかし、明るい未来だけを夢見るという意味ではありません。 私たちの今の姿はこれでいいの?と、問い直すことです。 それが「未来の発見!」に誘う原動力だと感じるのです。 そしてその問い直しを始める時、アーティストたちの様々にヴィジョンを見る力が、大きく役立つと信じるのです。
そして、いよいよこの秋、未来を発見する旅が始まりました。