Profile of |COKEHEAD HIPSTERS|
過去にCOCOBAT,GRUBBY,SUPER STUPIDという日本のパンク・インディーシーンを代表するバンドに在籍し、現在COKEHEAD HIPSTERSのドラマーとして活動し続けるHIROTH氏。過去の旅の事や音楽の事など色々語って頂きました。HIROTH氏のロングインタビューです
HIROTH (COKEHEAD HIPSTERS) Interview
—–地元ってどちらになるんですか?
元々山形出身だよ。
—–なぜ山形から東京へ?
高校2年生の時に、いかにもスラッシュメタル好きです!みたいなお兄さんをよく楽器屋さんとかで見かけてたの。田舎だからロン毛のメタルお兄さんなんてなかなか出逢わなかったし、いわゆる普通の社会人とは違う風貌だし目立ってて(笑)。ロン毛のメタルのニーチャンなんて当時メタル好きで聴いてたりBURRN読んでた俺からしたらカッコイイって思うわけじゃない?そうこうしているうちにそのメタルのお兄さんと知り合う機会があってさ。
—–それってどれ位前の話ですか?
25~26年前とかかな。それでそのメタルのお兄さんがやってるバンドがDismay ってバンドだったんだけどサウンドもメタリカ超大好きみたいな感じで。それでドラムとボーカルが抜けた後で、加入する事になって。。
—–元々メタル系のドラムスタイルだったんですか?
当時はさ、スーパーとかで滅茶苦茶バイトして頭金を貯めて、しかも親父が応援してくれて(笑)、TAMAの24インチのツーバスのセットを買ってさ。
—–ツーバスは凄く流行ってましたね当時!
そうそう!タムもズラッと並べちゃって。メタリカのラーズと完全に同じセットみたいなね(笑)。それでちょうどそのバンドに入ってちょっとした頃、UNITEDとOUTRAGEとLAWSHEDというバンドがツアーで仙台に来た時にそのDismayも誘って貰えてオープニングアクトをやらして貰ったんだよね。しかもそのDismayを辞めたボーカリストが上京してLAWSHEDでボーカルをやってたからそんな繋がりもあって、UNITEDとかLAWSHEDが所属してたハウリングブルとも面識が出来たのよ。
—–バンドでツーバスをドコドコやってたんですか?
やってたやってた(笑)。当時まだ高校卒業するかしないかの頃かな。
—–想像つかない(笑)。
でしょ(笑)。それで結局そんな繋がりもあったし、高校卒業してバンドで上京しようってなって東京に出て来たんだよね。
—–その当時はもうバンドで飯を食うみたいな夢があっての上京だったんですか?
そういう勢いだったよ。とにかくステージに立ってたくさんのお客さんの前で演奏したいっていう一心で、何をどう活動していくか?とか、そんな未来のビジョンとかは考えた事もなかったけどね。とにかくガムシャラにやってたよ。でも結局そのバンドも鹿鳴館とか20000Vとかでライブしたりして1年位活動したんだけど解散しちゃって。その後バイトで知り合った人とスマパンみたいなグランジっぽいバンドやってたら、当時COCOBATのギターのSUZUKIさんが、LAWSHEDのギタリストだったんだけど俺の事を覚えててくれててさ。それでCOCOBATからドラマーが抜けたタイミングで、『お前やってみないか?』って誘われて。
—–大抜擢!
まだ田舎から上京して間もないガキんちょにいきなり大チャンスが来て(笑)。当時LOFTでバリバリやってたようなバンドに入っちゃったもんだから勢いついちゃって(笑)。
—–割と初期のCOCOBATですね?
俺でドラマー2人目かな。俺の後がWRENCHのMurochinでしたね。
でも、実際在籍してたのは短くて参加した作品も「A TOURISTS GUIDE TO COCOBAT」っていうライブビデオだけだったからアルバムには参加してないんだよ。
—–その後にGRUBBYですよね?
そうそう。当時はSUZUKIさんが兄貴分みたいな存在で面倒とか凄く見てくれてたんだけど、当時のCOCOBATも色々あって結局SUZUKIさんが、『俺が新しいバンド結成したら一緒にやるか?』って声をかけてくれて、『もちろんっす!』って流れでGRUBBYをやったんだよね。でも2年半でクビになって(笑)。
—–あら。。(笑)。
いろいろあってね(笑)。
—–それはまた今度ゆっくり(笑)。
で、結構やさぐれてたんだけど当時BLIND JUSTICEで現ENVYのベースのNakagawa君とか当時GMFでまだデビロックを始める前の頃の遠藤君とかが原宿の古着屋で働いてたのね。そこに良く遊びに行ってそのままDJのHIKARUさんのバウンティーハンターに遊びに行ったりプラプラしてて(笑)。そしたらイッチャン(LOW IQ 01)と出会ったんだよね。
—–その当時は市川さんとは面識は?
俺のGRUBBY時代にイッチャンはアクロバットバンチってバンドをやってて…
たしか王子の3Dってクラブ。。割とオールナイトのイベントに遊びに行った思い出のあるクラブなんだけど。お互いのバンドは端から見ていたから、見かけた程度だったのかもだけど俺の事覚えててくれたんだよね。その時のSUPER STUPIDのドラムのヘルプがハイスタンダードの恒ちゃんで、恒ちゃんが抜けて、その後もう1人ドラマーがいて、次に俺の出番になったのね!
『おまえやんないか?』って言われてそれでイッチャンに拾われてトントン拍子でSUPER STUPIDをやる事になったんだよ。
—–当時のSUPER STUPIDは割ともう世に出てた頃ですか?
いやーまだその頃は「PULL UP FROM THE UNDERGROUND」っていうシスコから出てた色んなアンダーグラウンドのバンドのスプリット12インチを出してた位で、音源はそれ位だったんじゃないかな。
—–ライブなどでの動員もあまり無い時代ですか?
そうだね。S.Sはまだ何百人もお客さん呼べてない頃だったと思う。ハイスタは盛り上がり始めた時期かな。そんな中、ソニーのレーベルからファーストアルバムの「WHAT A HELL’S GOING ON」をリリースして。
—–1996年ですね。ちょうど20年前。僕が18歳とかでしたのでご活躍は遠くで見ていました(笑)。
もう20年前も経つんだね。でも実際俺がSUPER STUPIDに入って活動していたのは、たった3年とかかな。あっという間だったんだよね。
—–それでSUPER STUPIDが活動休止になりまして…1999年ですね。
まー知ってる人は知ってると思うんだけど色々あってね(笑)。
—–そこはまたまた別の機会ですね(笑)。でも活動期間って振り返ってみるとかなり短かったんですね。
そうね。本当にあっという間。ハイスタ本人達も言ってたけど、ハイスタがAIRJAMとかやって凄くシーンが盛り上がってっていうのも5年間位の話で。本当にビックリする位あっという間だったんだよね。
—–その時代の中を駆け抜けていると凄く長く感じますよね。僕もタイムリーで見ていましたし。HIROTHさん自身もバンドの移り変わりが激しかったですしね。
5~6年の間にCOCOBATやってGRUBBYやってSUPER STUPIDやって。
—–かなり濃い流れです(笑)。
確かに濃かったねー(笑)。それで活動休止になる直前に、ドラマーとして凄いスランプに陥ってて、『どうしたら抜け出せるんだろ?』って時にRAVEカルチャーに出会ったんだよね。
—–今の遊んでいるフィールドの一部ですよね。
そうそう。結構人生変わったんだよね。当時、WRENCHのライブに遊びに行った帰りにボーカルのシゲちゃんに、『これから品川の方でパーティーあるんだけど行かない?』って言われて(笑)。
—–ははは(笑)。
『何?パーティーって?(笑)』みたいな。エレクトロとか当時あまり興味無かったし自分の知らない世界でもあったんだけど、連れてった貰ったら当時バンドから離れてそういうRAVEカルチャーで遊んでる仲間とかと再会したりして凄く楽しくて。『なんじゃこりゃー??』みたいなね(笑)。腕が千切れる位踊っちゃって(笑)。
—–やばいですねそれ(笑)。でもなぜそこに目覚めたんでしょうかね(笑)。
当時はさー、シーンも凄い勢いで盛り上がっててイベントでライブやったりするととにかく色々な人達が遊びに来てたのね。格闘家だったりアパレル関係者だったり、もうとにかく色んなシーンの人達がいたわけよ。しかも勢いが物凄くあって、刺激も多かったんだけど、実際結構カオスな部分にやられちゃった感もあって。。疲れてたってわけじゃないけど、その当時サーフィンとかもやり始めてたりもっと自分の中でプリミティブな方向に目覚めて。周りの友人にバックパッカーが増えたり…自然と遊び場が変わっていったのかなぁ?RAVEカルチャーは、俺にとって”目から鱗”な凄く新鮮で刺激的なカルチャーだったんだよね!
—–元々バンドをやってた人達がダンスミュージックにはまる傾向は結構ありますよね。
そうなんだよね。それでそのままジャンベにはまって叩きだしてるうちに、『これは原点に帰ろう』って単純に思い始めてアフリカに行ったの。
—–えー!(笑)ジャンベを叩きにですか?
そうそう(笑)。それまで海外旅行なんてした事なかったんだけど、周りに旅慣れしてる人もいたし、なんか行けるんじゃないかな?って思い始めて(笑)。『俺はアフリカ行く!』って(笑)。
—–凄い勢い。初海外がアフリカ(笑)。どの辺りですか?
セネガルから西側に入って、陸路でマリに向かいずっといた。本当はもうちょっと中央寄りのギニアまで行きたかったんだけど、そこまで金持って無かったし、そこでゆっくり習う事にしたの。
—–アフリカはどうでした?
最初セネガルに行った時に、乗換えで知り合った日本人がいて、そいつの友達が前乗りしてて空港に迎えに来てくれてるからそいつについて行けば街まで行けるからって言われて。でも空港に着いたら着いたで色んな奴が待ち構えてるわけよ。白タクみたいなのとかね。それで行ったら、前乗りしてる日本人がいてそいつは現地で知り合った人がいてそこにホームステイしてると。いきなりホテルに行くつもりだったんだけど、あまりにも右も左も分からないからとりあえず日本人3人でそこに行ったわけね。そしたら、結構立派な家で、そこのエリアのリーダー的な存在の家だったの。でもそのアフリカ人ってそこら中に家族がいて、『幼稚園かよ!』っていう位子供がたくさんいる家族とかそんなのが街のあちこちにいるようなさ。
—–みんなどこかで血が繋がってる親戚とか親戚の親戚ですね(笑)。
そんな感じ(笑)。で、そこのホームステイさせてくれた奴と金の事で喧嘩しちゃったんだよね。『お前金取り過ぎじゃねーか』と。
—–ホームステイ代ですね?
そうそう。それでもうマリに行こうと思ってたから確かなんかの手続きで街に出て時間がいっぱい余ってたからビーチにいたら、ある現地の奴が近づいてきて、そいつは英語も少し話せたから、おれの片言英語でも段々打ち解けてきて、俺がマリに行く為の切符を買わないといけないって話をしたら、『切符売り場は悪い奴がたくさんいるから俺が代わりに買って来てやる』と。窓口の前まで一緒に行って、『俺に任せろ』って、お金を渡した瞬間そいつが猛ダッシュで逃げて(笑)。
—–えーーー!(汗)大胆!
俺もその時荷物持ってなかったから、『待てー!!』って追いかけたんだよね(笑)。
—–追いかけたんですか?(笑)
なめんなって思って(笑)。街中グルグル追いかけっこして。でも現地人だから入り組んだところを入っていくわけさ。それでちょっと差を付けられて、パッと路地を抜けたら完全に見失って。そこにカフェがあったんだけど、多分その中に入ったんだよね。俺も店の中で必死な顔して探してるわけよ。でも店にいる連中は、『あ、こいつやられたなー』みたいな目でみんな見てて(笑)。もうガックリしちゃって(笑)。
—–映画のような(笑)。結局マリには行けたんですよね?
うん(笑)。鉄道もさ、セネガルから唯一一本だけマリに走ってて。エクスプレスなんだけど60キロしか出なくて移動距離48時間みたいなね(笑)。
—–丸2日間(笑)。
その電車でもさー、セネガル人と車内で仲良くなって凄い良くしてくれたのね。後々話を聞いたら警官だったんだけど(笑)。その時ちょうど雨季でちょっと進んだ辺りで先の橋が流されちゃって電車が進めないと(笑)。『えーー?結構まだまだ先長いよー?』みたいな(笑)。結局そのセネガル人と一緒にタクシーでまた違う駅まで行かないといけなくなったんだけど、そのタクシーって言ってもトラックとか乗用車みたいなのにギュウギュウ詰めで道もあんまり舗装されてないから寝れるわけもないしクッタクタで(笑)。で、やっと国境まで来てイミグレーションでその警官の友達が話をしに行ってくれたんだけど、『金を払わないと通してくれない』と。
—–え?警官が話しに行ってもですか?
その警官の奴も、『良くある事だから払っちゃった方がいいよ』って(笑)。俺としては悔しいじゃん?でも結局払うことになってすっごいムカついて悔しくて。
—–戻るわけにもいかないですしね。。
旅で知り合った警官にも迷惑をかけたくなかったし。でも国境を越えた辺りって建物とかもなんも無いような場所でさ。夜だったんだけど、空を見上げたら今まで見た事も無いような星の数がワーーーっと広がってて。『うぉーーー!アフリカに来てるー!』みたいなさ。本当に凄かったんだよその景色。周りは地平線しかなくて、砂漠化が進んでるからたまにバウバブっていう木が生えてる位で電気もないし星の灯りだけなのよ。月を探すのも大変な位星が光ってるような。星の瞬きがリアル。恒星の間に散りばめられてる小さな星も全部見える。俺達が住んでる地球って天の川銀河って呼ばれてる銀河系のなかに在って、本当は天の川って見えてる筈なんだよね。
—–日本ではなかなか空気汚染もあって難しいかもですね。
その天の川が帯になってはっきり見えたんだよ。地平線から逆側の地平線まで。銀河系って皿状になってて、逆回転になってる渦が重なってるんだけど、その間はくっついて無いから星が無いのね。でもその線まではっきり見えて。流れ星はひたすら流れてるし。そのイミグレーションでの悔しさとか旅の疲れが全部吹き飛んで。あの星空を見る為だけでもアフリカに行った方がいいでしょって思う位。あれは本当に凄かった。
—–かなり貴重な経験ですね。
その後結局駅まで辿り着いたんだけど、偽の電車の切符を買わされその警官も一緒に騙されて(笑)。
—–またやられると(笑)。
水を飲んで腹を下して、電車のトイレを使おうとしたら普通に洋式だったからラッキーって思って便座を上げたら車輪がガラガラ回ってるのが見えたり(笑)。案の定風で全部戻ってきちゃうみたいな(笑)。
—–きっついですね(笑)。
で、結局マリには到着できたんだけど結構ホテルの環境があんまり良くない中一軒だけモーテルがあって。でも地元の行商人が泊まるような雑魚寝部屋(笑)。そのホテルでマラリアにかかり(笑)。
—–あらら(笑)。
しかもジャンベを習う為に前払いでお金を払ったんだけどその先生が全然教えてくれなくて。そんな中マラリアにかかり(笑)。その時はまだ旅も残り2ヶ月位あったんだけど、マラリアも治って、『明日からどうしよう』的な感じで街を歩いてたら、同じ位の年齢の現地の奴に話しかけられて。アフリカって基本ガイドの仕事してる現地人がたくさんいるんだけど、そいつもその一人だったのよ。それで、『前に日本人の家族の世話をした事がある』とかいってその家族の紹介文を見せてきて。
—–なんか怪しいですね。。
でしょ?それでその手紙を読んだら本当っぽくて。でも俺は観光に来てたわけじゃないから、ジャンベ習いに来て全然先生が教えてくれなくて終いにはマラリアにかかって医者代もかかったし金もあんまり無いしって話したら、『俺のメゾンに来ないか』って。それから俺の事ずっと面倒見てくれたんだよね。
—–お?という事は騙しじゃなかったんですね?
そうなんだよ。めっちゃイイ奴でさ。それでそいつの友達でジャンベを叩ける奴を紹介して貰って結局そこには1ヶ月半位いたかな。マリっていう国は本当に貧乏な国で、首都のバマコってところですらインフラ整備されてなくて、あちこちにビニール袋とかガンガン捨てられてるような街で。でもそれが俺にとっては凄い経験だったし良かったのかなー。
—–結局その人の家に泊まってたんですか?
毎日そいつん家寝泊りして、そいつも毎日仕事を探してるから朝に一緒に出て、俺はジャンベの先生の所へ行ってそいつは仕事を探しに行くみたいなね。
—–ちゃんとジャンベも習えたんですね!
元々ジャンベを習うっていう目的だったんだけど生活している内に、アフリカの現地の同じ位の年齢の若者がこういう国でいかに現実的な生活をしているかっていう事を垣間見る事が出来たのが俺にとってはデカかったかなー。みんな仕事がないから、それぞれの仲間同士のコミニュティーがいくつもあるんだけど、結局仕事が見つかって金が出来た奴にみんなたかるのね。俺のその連れのギャズビーは、性格もいい奴で仕事も割りと見つけられるような奴で、レッスン終わると、小さなカフェみたいな場所があって、そこで待ち合わせするとその仲間もみんな集まってくるのよ。それでギャズビーが来る前とかに俺がそのカフェに着くとみんなたかってくるのね(笑)。でもギャズビーには、『誰も信じなくていいから』って言われてて、比較的ギャズビーの一番近くにいる友達さえも信用するなと(笑)。『どうなってんのー?』みたいな(笑)。
—–誰も信用出来ない(笑)。
みんな色々話しかけて来てくるんだけど最終的にはどうにかして俺から金を引き出そうとするんだよね(笑)。日本人っていうのもあると思うんだけど、『俺も金が無いからごめんね』みたいな(笑)。でもみんななんだかんだで仲間同士助け合ってるんだよね。
—–夜遊びとかもあるんですか?
週末になるとナイトクラブに遊びに連れてって貰ってお酒飲んで。レゲエバンドみたいなのが演奏してて、『お前ドラマーなんだろ?叩いて見ろよ』って言われて叩いたのね。それまでは多分かわいい日本人みたいな扱いだったんだけど、緊張しつつもドラムを叩いたらその後のみんなの俺の扱いが変わった(笑)。『おー!おめーなかなかやるじゃねーかー』みたいな(笑)。
—–想像もつかなかったんでしょうね(笑)。自分の持ち味を違う国のそんな環境で出せるって気持ちいいですよね。
俺もドラムやってて良かったと思ったよほんと。で、いつも帰る時って、後ろの扉のハッチが無いようなオンボロハイエースの荷台に、木で作ったベンチみたいなのが置いてあるバスみたいなのに乗って帰るんだけど、行き先も助手席の奴が、『なんとかかんとかなんとか!』って叫んでるだけみたいな感じの(笑)。で、ある時、ギャズビーとバスを降りて舗装されていないようなまっすぐの砂利道で両側は高い塀みたいになっててその中は家族が共同で暮らしてるような住居エリアがあるんだけど。そこを2人でずっと歩いてたら、『こんなところに扉があんの!?』みたいな所に扉があって、そこに入って行ったらロウソクの灯りしかないような真っ暗な部屋で、ラジオからガンガンレゲエがかかってて。その部屋に、物凄いボリュームあるドレッドヘアーのパイセンがいて(笑)。ギャズビーが、『こいつは俺が尊敬しているビッグブラザーだから。ちょっと俺友達に会ってくるから待ってて』って言ってどっか行っちゃったのね。
—–大先輩と2人きり(笑)。
そう(笑)。ロウソクの灯りしかないような部屋で、こんなバカデカイドレッドのパイセンと2人きりで、その人はもうずっと目で語ってるような感じ(笑)。いい感じにラジオから流れてくるちょっと割れた音をしたレゲエとリアルな先輩。彼は英語も多分話せなかったから会話とかほとんど無くて。でもその空間とか時間がすっごい今でも覚えてて最高だったんだよね。どんだけ時間が経ったのかも覚えていないし、でも鮮明に覚えてるんだよね。
—–なかなかそんな経験ってないですよね。
相当アフリカでは濃い経験したし色々な人に助けられたよね。
—–そんなアフリカ旅から戻った時点ってSUPER STUPIDはどんな状態だったんですか?
まだ休止はしてなくてギリギリな状態。でも俺はアフリカへ行って色々吸収して、『よし!やるぞ!』っていうムードだったんだけど、やっぱりバンドは修復不可能な状況で結局バンドは活動休止。16年ぶりにこの間ライブをやったんだけどね(笑)。
—–ありましたね。BRAHMAN主催の『尽未来祭』ですね。でも16年間の間に復活の話などはなかったんですか?
最初の3年~4年は俺は諦めてなかったんだよね。絶対いつか出来るって思ってたんだけど、イッチャンは自分で活動もしてたし、ジャッキーはジャッキーで。。。って感じだったし(笑)。でもこのバンドに期待を持ってたら俺自身も前に進まないとって思って、昔から仲良かった女子2人に誘われてall O.K.ってバンドを始めたんだよね。なんだかんだ5年~6年やってたからall O.K.が自分がやってたバンドの中で一番長かったかな。
—–all O.K.はまだ存続しているんですか?
もう今は解散しちゃったかな。その後もQuOってバンドに参加したり、ステレオリンチに加入したり、ハイスタのナンちゃんのソロに参加したりしたんだけど腱鞘炎になって一週間位入院して手術する事になって。
—–腱鞘炎はきついですね。。
ギプスとかもしてドラムも叩けない状態だったから一回山形に戻って。それで戻って来て個人練習とかもしてたんだけど、結構暇だったからアブノーマルズを始め 色んなバンド仲間のライブとか良く観に行っててコークヘッドとかも出てたり、色々なライブを観ながら、『俺だったらこう叩くのにー』ってとにかくドラムを叩きたくてさ。そしたら、コークヘッドのムラから連絡来て、『ちょっと出れないライブがあるから何本かヘルプで叩いてくれないかな?』って言われて。
—–物凄いタイミング!
『おー!それは面白い面白い!』って思って実際スタジオ入って合わせたらビッタリきちゃって(笑)。メンバーもビックリした顔しててさ。その時がちょうどコークヘッドのリリースのツアーだったんだけど、その後の事はまだ決まってなかったのね。でもスタジオの空気感とかでバンドに馴染んでるとかって分かるじゃない?だからいつかは正式に誘われるんじゃないかなって思ってたらある日のスタジオで、『ヒロシさー。正式メンバーでやんない?』って言われて即答で、『やる!』って(笑)。
—–それっていつ頃ですか?
もう4年前とかだね。
—–そうなると今回のミニアルバム 「DANCE WITH IT」 がHIROTHさん的にはコークヘッドでの初音源なんですか?
そうなるね。ずっとフルアルバム出そうみたいな話はあったんだけど、なかなか進まないしもう前作から3年以上経ってるし今のある新しい曲でミニアルバムで出しちゃおうって。
—–レコーディングはいつだったのでしょう?
去年の12月にレコーディングして、先にミックスを終わらせた「CALIFORNI-ADDICTION」っていう曲をこの間無料配信して。
—–レコーディングはどうでした?
今回は自分達でどこまで出来るかなって事で割りと経費削減してやってみようかと。5曲だったんだけどドラム録りは2日間で録って割と順調だったかな。本当に手作り感覚で、発売もレーベルを使わないで完全自主制作発売っていう形なんだよね。
—–この間ライブも見させて頂きましたが、やはり音楽的なツボが独特でコークヘッドに似たバンドってまず思いつかないですよね。
コークヘッドは自分達のスタイルを確立しているし、自分達がいるその時代時代で吸収している事を自分達の変わらぬスタイルの中にうまく織り交ぜてるバンドだなって思う。
—–バンドの方向性とかモチベーションはどうなんですか?
正直、『もう一回音楽で返り咲くぞ!』みたいなノリでやってるわけじゃないんだけど、音楽をやっている以上はクリエイティブな活動はしたいなって思うし、今回レコーディングした新曲とかもミックスするのにてこずった曲とかもあったりして。どういう風にみんなに評価されて受け入れられるかは気になったりはするよね。
—–コークヘッドってなんだか安定感と安心感が凄くありますよね。どんな新しい事をやってもコークヘッドになっちゃうといいますか。
そうなんだけど曲の構成とか曲作りが凄くこっててさ。最近昔の曲とかをアレンジしたりしたんだけどKOBAクンも、『ホント良くこんなメンドクサイ曲作ったよね』って自分で言ってるからね(笑)。ほんと捻くれてるっていうか(笑)。でもそこは4人が違和感無くなるまでしっかりと練り上げて時間をかけて曲を作るからコークヘッド独特なサウンドが出来るんだと思う。
—–だからこそコアなファンがずっと付いてますよね。
KOMATSUクンが、『年に何回か地方に呼んでくれる人達もいるし、そういうファンとかフォロワーと心中していこうかなって思ってるんだよね』って。最初凄く消極的に感じたんだけど、後々コークヘッドがどれだけファンを大事にしていて、地方とかのファンや仲間との繋がりを大切にしてるのかを目の当たりにしてKOMATSUクンの言ってる事が理解出来たし、物凄く勉強になってるし 良い経験させて貰ってます。絆とか人と人との繋がりとかをキープするのにファンもバンドも思いやりを持って接している姿を見てこの年で学ばせて貰ってるよホント。バンドのみんなも凄く優しいし大人だしね。
—–加入後の初音源も発売出来て順調ですね!
うん!かなり順調!ずっとモヤモヤしていたSUPER STUPIDの区切りのライブも出来たし。
—–そこ、先程触れていいのか迷いました(笑)。
だよね(笑)。KOBAクンには相談してたんだけどコークヘッドの他のメンバーにも言ってない位ほとんど誰にも言ってなかったからね。。ライブが終わったらKOBAクンも泣きながら、『良かったな!ヒロシ!』って。イッチャンもジャッキーもライブが終わってKOBAクンに、『ヒロシの事よろしくな』って言ってたみたいで。思い出しただけでも今泣きそうになった(笑)。
—–僕も貰い泣きしそうです(笑)。。
SUPER STUPIDがああやって復活するまで本当に大変だったし、あそこまでに至るまでにホント色々あったからね。きっかけを作ってくれたブラフマンのTOSHI-LOWには本当に感謝だよね。色々動いてくれたからさ。あの復活はアイツにしか出来なかったと思う。ここでは言えないドラマがあったよね(笑)。
—–これ以上はオフレコという事で(笑)。さてミニアルバムの「DANCE WITH IT」のリリースが間もなくですね!
もう既にライブ会場で売ってたりダウンロード出来たりもするからホームページをチェックしてね!
リリース情報
Cokehead Hipsters
『DANCE WITH IT』
2016.05.25 Release
01.CALIFORNI-ADDICTION
02.AT THE RISK
03.DO YOU WANCHA TELL ME?
04.DESEASE TO FORGET
05.OUT OF THE MAZE
5曲入りミニアルバム
レーベル: COKEHEAD RECORDS
¥1,000
購入はこちら
http://www.amazon.co.jp/
gp/product/B01ELP8006/ref=dm_ws_ap_tlw_alb6
ライブ情報
COKEHEAD HIPSTERS「DANCE WITH IT」release party in Osaka
『STREET VIBRATION 2016』
2016年5月29日(日曜)
at 心斎橋 live house Pangea
前売り 2300円
当日 2500円
共にドリンク代別途500円
オープン 18:00
スタート 19:00
-ACT-
COKEHEAD HIPSTERS
RAZORS EDGE
THE WRESTLING CRIME MASTER
DJ:LATE LATE SUMMER CLUB
▼前売りチケットはコチラ!
チケットぴあ
ぴあPコード 293-869
e+
http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002185760P0030001
またはライブハウスPANGEAにて前売り予約受付中!
心斎橋 live house Pangea
〒542-0086
大阪市中央区西心斎橋2-10-34 心斎橋ウエスト363ビル1F
Tel:06-4708-0061
http://livepangea.com/
MORE INFORMATION
COKEHEAD HIPSTERS Official Website
http://www.cokeheadhipsters.com/